メンタルにゅーす ヒエダ Vol.387 「重度の統合失調症」 | 2025年5月2日 Vol.387 CIL(自立生活センター)下関発行 ピア・ハート下関(精神自助会) 編集 白夢 TEL(083)-263-2687 FAX(083)-263-2688 E-mail s-cil.y@feel.ocn.ne.jp |
統合失調症と言えば主な症状は幻聴と妄想です。もっと重度になると、身の回りのことがすべてできなくなります。特に平均寿命が低かった時代は統合失調症を見たことがない人は多いです。それでも近代国家になった明治の時代から平均寿命が長くなった。明治の精神科病院の前進京都癲狂院、東京都癲狂院ができた頃から少しずつ国も精神病に対する治療を本格的に頑張っていました。しかし治療は滝行とか現代では考えられない治療がありました。統合失調症は怠け者だから滝行で精神を入れ替えようと考えていたのかもしれません。私は、統合失調症の治療が確立された時代に発病したので、服薬だけででき電気麻痺療法は治療で受けていません。しかし当事者で重度の当事者は電気をかけられた人はわずかですがいました。まだ、筋弛緩剤・麻酔を使わなかった時なので、当事者は電気をかけられるのは、怖がっていました。看護師の指示に従わないと「電気かけるよ」は、患者への殺し文句でした。それと重度の統合失調者の最後の薬がクロザリルですがこの薬は1ヶ月に1回血液検査をして白血球の数に気をつけないといけません。
現在でも、電気麻痺療法は治療法に有効と考えられています。西暦2000年前後に新薬(非定型抗精神病薬)が軒並み開発され、単剤適量の調薬がなされてきました。薬も数種類出てきて患者のQOLに合わせた選択肢が増えた調薬になっています。
患者の待遇がよくなりましたが依然として、精神関係・障碍者関係の法が整備されている中で、電気・拘束・社会的入院患者はいます。精神科病院に50年入院している患者がいると本で読んだことがあります。そんなに長く治療がされているのなら、都道府県の健康増進課は機能しているのかと思います。病院の中で虐待はまだあります。まだまだひどい扱いを受ける患者はいます。
統合失調症は若者の人生を台無しにする病気です。年を取っていくに従い晩期寛解すると言われていますが、私は運悪く晩期増悪して、服薬量が以前の服薬量の1.5倍になりました。2020年妻が亡くなり、私の病状は悪くなる一方です。私は、神様の私に対する振る舞いに何故か疑問を持ちます。神様は乗り越えられる試練しか与えないのではないのか。しかし、今のこの状況でも私には乗り越えられる試練なのでしょうか。私は、神様に嫌われたのか?
私は下関に移住してから、誠実にまじめに人と接してきました。当事者や関係者の啓もうに尽力してきました。それでも私は、社会貢献してきてないのか。私に何か問題があるのか?私はこれまで下関に来て神様に嫌われるようなことをしたのか。私は悩みます。自分を責めます。自分の問題が何か考えます。
これは私の経験ですが同じ統合失調者同士で差別している場面に出くわしたことがあります。私は、病者同士で差別をするのとびっくりしました。人間は自分を基準にして他者を差別する人もいるんだなと思いました。
温厚な私でも一度無茶苦茶怒ったことがあります。二十数年前のことですがまだ覚えています。処遇改善の連絡先を病棟に貼ってありました。そのころ私は措置入院でした。1年で措置解除の自傷他害行為は消えていました。それで県知事に措置解除の手紙を書きました。それに病院長が怒って消退届をかいてくれませんでした。後で聞くとその精神科病院は措置解除をしないことで有名な病院でした。そうすると措置入院から医療保護入院に母をだまして変えました。精神医療審査会に訴えると医療保護入院の妥当性がないと結果がでました。それから、私の処遇の分からない幽霊入院が始まりました。病棟の主治医が相談に乗ってくれ、新聞に告発して人権擁護委員会にも訴えました。医療保護入院は解除され任意入院になりましたが、今度は私とは医療契約をしたくないと言われました。この病院長にはさんざん嫌がらせを受けました。私は保護室から大部屋に上がって廊下に貼ってあった様々な情報の貼り紙は何だったのだろうと今でも不思議に思います。その病院の院長の口癖が「院内で大人しくしていても社会に出たら何をするか分からない」ということです。精神障碍者に差別を持った院長でした。
幸い神様は使者を差し向けてくれました。その使者のおかげで今の私があります。私はその使者のおかげで現代の私があり、実績があります。
院長は私が県知事に手紙を書いて措置解除のお願いをしたのにさぞ怒っていたのでしょう。食事を抜かれたり、嫌がらせを受けました。その使者のおかげで任意入院になり退院になりその後退院し援護寮に入所して生活訓練をして退寮してCIL下関NPO法人らいとに就職して定年まで働いて、嘱託になりまだ働いています。
【編集後記】
白夢は多くの友人・支援者・医療関係者・上司・同僚など人には誠実にまじめに接するように気を付けてきました。上司や同僚のおかげでなんとか働いています。最愛の理解者妻とは死別しました。今も妻のことを引きずっていますので、白夢には相当なショックでした。今回同時期に妻と私が調子を崩して、入浴・洗面・掃除・洗濯・炊事がまったくできなくなりました。妻の状態が悪くなるとこうなるのかと納得しました。統合失調症が状態が悪くなったり、重度になるとこんなになるのかと考えさせられました。妻は自分を犠牲にして私を介助して結局自分が状態を崩して亡くなりました。妻がまだ懐かしい。今でもあの時はこうしたらよかった、ああしたらよかったと後悔の連続です。それでも妻が調子を崩してからは介助を献身的にやったと思います。私は妻のおかげで、今までで一番穏やかな生活をしました。あとで聞くと介助者の人達にはNPO法人らいとのお母さんと呼ばれていたと分かり、その人望の厚さに驚くことだらけです。今でも妻の聡明で優しさを思い出す。今では、妻の寛解時にくれるアドバイスをこうくれるだろうと想定して私は生きています。