メンタルにゅーす     ヒエダ

Vol.393

「得た物・人と

    送った物・人」

2022 年月日   Vol.393

CIL (自立生活センター)下関発行

ピア・ハート下関(精神自助会) 編集 白夢( SAM

TEL(083)-263-2687

FAX(083)-263-2688

E-mail   s-cil@feel.ocn.ne.jp

URL     https://cilsimonosekiraito.wixsite.com/website

 今回のメンタルにゅーすは簡単に言えば Give&Take です。2020年妻を亡くし、妻の友人が白夢の友人となり、2020年12月私が働く特定非営利活動法人らいとから超法規的に介助を緊急避難的に入ってもらいこのコロナ 中で生き延びています。状態は良かったり悪かったり,ボチボチです。私は悩んだり考え込んだりしていますが何とかやっています。私は妻の友人、介助者、多くの支援者の助けを借りて生きています。妻の遺言みたいないつも私に口を酸っぱくして言われていたことをノートにまとめてそれを反芻しながら生きています。多くの人の支援で今の自分があります。まさに一人で自立生活を送っています。そして、人の心の温かさを感じながら生きています。多くの仲間や、友人、上司や同僚のおかげで生きています。CIL関係者は、そのNPO法人から介助を受けて生活されている方が多いと思います。私もその中の一人です。

今、病院はどういった政策をしているかというと、法律で退院者をデイケア、障害福祉サービス事業所を立ち上げて患者の取り込みをやっています。当事者は支援者の言うがままに生きています。いやなことは、No!といえばいいのにと思います。自分の自立生活は自己選択、自己決定、自己実現、自己責任を担って生きていけばいいのにと、私は常々考えて生きています。まるで自分が意思決定したゴールが支援者の決めたゴールなようなとらえ方をしているようです。法律には退院したら自立生活している人のほとんどがデイケアか障害福祉サービス事業所に行かなきゃいけないと刷り込まれたかのように支援者の言うゴールに向かって生きています。本当に精神の当事者の生真面目さに驚かされます。でも、その中に入らない枠のスケールの人はちらほら見かけます。

2000年になって障害者自立支援法になって、規制緩和され障害者はどこの介助事業所も障碍者が決めていいよと言っています。今は障害者総合支援法です。法律の中で障碍者の在り方が細分化されて完備されようとしています。

日本人は勤勉で生真面目な人が多いです。社会に出たらどんな生き方もできます。自分の生き方は自分で決めていいのです。精神当事者は、こんな生活をしているよといえば、自分自身が不本意でもそれに従います。私は、自分の人生は自分のものだから、自分の決めた福祉の仕事と障碍者運動しています。もう20年くらい続けています。20,21世紀差別的に扱う精神科法制が少しずつ緩和完備されてきました。

デイケアの小型施設化、障害福祉サービスのB型継続支援のまま、就労の一般就労は行われているのか白夢には疑問です。確かに一般就労化は病院内の掃除や管理維持に当事者を雇う病院があります。SAMにはニュースレターのペンの力があります。精神障碍者が生き易い、働きやすい社会の実現にフラットな社会が実現できるように願います。

インクルーシブ(共生化)社会は、種々雑多な人たちで構成されるのが強い社会と言われています。これにも白夢は疑問があります。病院や施設はその手のひらに乗った人は手のひらの上で手のひらから離れないよう落ちないように手のひらのコマのように精神当事者を扱っていないのでしょうか?

今回のお話は、Give&Take、人は労働力というものの対価をもらいます。まさに、Give&Takeですね。私は、今の障碍者動静には詳しくないかもしれませんが、最低賃金で精神当事者を雇用していませんか?労働に自信と誇りを持って働いていますか?雇用が使い回しになっていませんか?賃金は毎年昇給されていますか?精神当事者が働きたいという人が御社にいて働いていますか?私は思います。同じ仕事以上に当事者が劣悪な仕事をしていて、それを管理する人の対価が多くないですか。私は精神の福祉工場から一念発起して一般就労しました。それがもう20年近く働いています。毎年記録更新中です。働くならオープンがいいですよ。私はそう仲間の当事者に話します。今、私は定年を過ぎ、嘱託で働いています。私は統合失調症と診断されて3つの選択肢を考えました。一生入院、仕事できない、結婚できないの3つです。それらを覆して3つとも実現して地域社会生活して20年が経ちました。2年前、妻に不幸があり死別しましたが、今も地域社会生活しています。私は人に優しくされたことはありませんが、妻は私に身近で優しくされました。彼女がまさか先に亡くなるとは思いませんでしたが、私は11年間幸せでした。私は、母に「生きていれば良いことがあるから長生きしなさい。」と言われていましたから、母の言いつけどおりに生きています。そして、死別した妻には彼女が寛解時に言うだろうアドバイスを想定して生きています。ただ妻にはよい教えを頂きましたので大変感謝しております。お酒の好きな人でした。

【編集後記】

 私の愛読書「Think&Grow rich!『思考は現実化する』~人間は思った通りの人間になる。~」通りに生きてきました。妻に先立たれ不幸がありましたが、私は、妻の分も長生きしたいと考えて生きていきます。妻は聡明で優しく、お酒の好きな人でした。私は、妻にはお願いが3つ食事でありました。食事のおかずは3種類作ってくださいというお願いでした。食事を作った経験があまりなかったので、無理は言わず「おいしい」と必ず褒めて食事を摂っていました。なぜ3種類かと申しますと、私の母が知的障碍で料理がごった煮だけでしたからです。妻には無理難題を投げかけましたが何とかクリアしました。今でも覚えて再現できるようになった料理があります。人参サラダと玉ネギの線切りとツナの甘酢漬けともう一つは豆腐と大葉の千切りと梅の和え物です。時々作りますがもう手が勝手に動いて調理できます。妻のことを思い出すたびにこの2つの料理は思い出します。優しい妻で調理に慣れてくると2,3日前にリクエストすると必ず作ってくれました。職場には事務職員という仕事で入社しましたが、障碍者運動には興味がありませんでしたし、精神病に興味がありませんでした。