メンタルにゅーす     ヒエダ

Vol.394

「生きる」

2025 12 2 日   Vol.394

CIL (自立生活センター)下関発行

ピア・ハート下関(精神自助会) 編集 白夢( SAM

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E-mail   s-cil@feel.ocn.ne.jp

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 生きていくことは大変なことです。調理・食事・洗濯・整理整頓・掃除・風呂等もっと細かくすると 1 日に十個以上のことをやらないといけません。一人も二人も一緒ですが毎日、夫婦でやる人、妻だけがやる人と別れますが。日本では家事のほとんどが女性の仕事です。最近、夫婦が分業して家事をする人が増えてきました。自分でやってみると、家事は、大変なのが気付きます。日本では家事は女性の仕事と言われていましたが、昭和・平成・令和となるに従い家事は共同作業と考える人が増えてきました。しかし思ったほどに家事は共同作業と考える人たちはいるのか?子供ができれば、私が働く特定非営利活動法人らいとでは、最近では男性で育児休暇を取る人もいます。時代は変わったなと昭和生まれの私は思います。二人で生きていけば喜びが 2 倍に、悲しみが半分になるといわれます。夫婦に子供ができたので喜びがありますが、喜び以上に育児の負担があります。果たして半分半分の育児になるのか?私には、疑問です。らいとは社内結婚が多い職場です。福利厚生が完備されていても、産休を取ったらすぐ復帰して働いているのが現状です。夫婦のゴールはマイホームが殆どです。ゴールをマイホームにしなければ楽なのにと考えます。でも今も昔もマイホ-ムなのです。案外頑固に変わりはありません。私は妻と結婚した時にマイホームは無理だと言った時、さぞや妻は悲しかったであろうと思います。

なぜ無理かというと病気と障碍がありますので将来の見通しが確約できないと言いました。自分の精神の病気があるので支払いができないといいました。ある時ふと、マンションでも買うかと私が妻に言うとローン払えるのと聞いてくるのでそんなもんキャシュやと言いました。妻の弟は不動産を扱う仕事をしています。駅まで 20 分は遠すぎると、ダメ出しを食らいました。

 今思うに妻の不幸を目の当たりにすると、買わなくてよかったと考える自分がいます。妻は自分の病気と障碍にあまり興味がなかったです。夜眠れないので服薬を続けていたのです。病識がない時に私は彼女に 1 か月休んだらと言って、上司の K に話をつけました。

体調管理も仕事のうち、今度から自分で申告してねとやさしく説諭されたと聞きました。精神病を積極的に治療専念することをアドヒアランスと言います。精神病の殆どが服薬が第一選択治療です。アドヒアランスを守って、アガムの法則(あせらない・がんばらない・むりしない)とタコムの法則(たたかわない・こくふくしない・むきあう)、服薬を守りましょう。私は、今服薬が不規則になり調子が悪いです。規則正しい生活・服薬が肝要です。

 生きる、成長する、阿鼻叫喚、悩む、驚く、喜ぶ、泣く、老化する、落ち着く、順境、苦境、不幸、死に立ち会う、送られる 生きていく中でのキーワードは無限・・・・・・生きた証・・・・・ 50 60 洟垂れ小僧昭和の時代の国会議員がよく言われていた。今は人生百年時代といわれる。平均寿命が高くなった。今は平均寿命の中で平均余命というのがあるそうです。

 生きていくのは難儀だが、生き続けるのも難儀です。そんな中でリタイヤした後の第二の人生の TV 番組もあります。私は 23 歳で統合失調症を発病したので人生の 40 年近く病気と障碍があります。特にこの病気は若者の人生を台無しにしてしまうから早期治療、服薬継続が大切です。私の連れ合いは、人望があって今でもお線香をあげてくれる人がいます。私も妻のように人望ある人付き合いをしたいものです。今私は人生を 43 歳からやり直して人脈を作っています。第二の人生も嘱託で障碍者運動、 NPO の仕事を続けています。続けられるだけ続けます。それは妻の遺言みたいなものです。

 これから私がいかに生きるか・・・それが問題だ。また私の後世の職員に伝えていかないといけません。私は精神の冊子を 5 冊編集しました。これらは、国会図書館、大阪府立図書館、山口県立図書館、下関市立図書館へ寄付し蔵書としてあります。自分の運動の歩みを記録したまとめの、その時点の結実点の記録です。運動の右左がわからないところから人に教わり勉強した結実点です。それから妻の不幸がありましたが、妻には様々なことを教えられました。ただ聡明で人望もありましたが病気と障碍に興味が全くなく勉強しませんでした。そこが惜しまれます。

【編集後記】

 妻は聡明なので論理的に言葉で説諭されると私は何とも言えませんでした。それほど怒ると私を攻めてきて説き伏せられると何とも言えません。私は彼女の真剣さとその場の雰囲気に怖さすらわきます。反面お気楽お手軽生活のノウハウを目指していましたから私はそのギャップに笑いがもれました。しかし彼女との 11 3 か月の生活は楽しくもあり、二人で 2 週間に一度お酒を飲みに行ったりしていました。彼女はお酒ととんかつ定食が好きだったので機嫌が悪い時には、この 2 つのどちらかを誘うと機嫌が直りました。今は彼女のフラッシュバックは、笑っていることが多くなり懐かしく思います。彼女が笑っているフラッシュバックが多くなりました。時という薬は、時間がたつに従い徐々に効いてくるのを体験します。しかし総じて彼女は優しかったですね。私は小さなころ母と二人父に DV を受けていましたので優しくされた記憶がなかったので妻が優しくしてくれたことは感謝しています。私は猫が好きなのですが妻が猫系で用事があるときに猫なで声で近寄ってくるので面白かったです。それと、肩が凝ったので揉んでくれ、スポーツマッサージをしてくれ、手を揉んでくれとか言われてよく揉んでいました。

 その妻も不幸があり亡くなって 2 年になります。妻とは笑いや楽しかったこと、悲しかったことがありました。今では懐かしい光景です。

 

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