メンタルにゅーす

ヒエダ

Vol.396

「心の癒し」

2026 2 1 日   Vol.396

CIL (自立生活センター)下関発行

ピア・ハート下関(精神自助会) 編集 白夢( SAM

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E-mail   s-cil@feel.ocn.ne.jp

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 妻が亡くなって 6 年、時が心を癒すのですね、実感します。妻との死別は自殺だったので白夢はショックでした。当事者同士の結婚で気づかなかったのか言われますが、気づきませんでした。ただ、あんなに障碍が重度になったのには、初めて立ち会いました。手帳が 3 級でしたので、軽い障碍でしたと認識していました。妻が生前言っていましたが手帳の級なんて関係ない状態を崩したらみんな同じだということです。確かにと私は納得するところがあります。当事者同士の結婚で、調子を崩したらどうするのと、上司の K が言っていましたが、心配は当たってしまいました。 K はそこまで考えていたのかと、その聡明さに今でもびっくりします。葬式が終わり私はなすすべもなく呆然としていました。

 妻が亡くなって生活はすさんできました。妻の状態は、掃除・洗濯・調理・入浴など生活のすべてができなくなっていました。私はその介助と自分の仕事、妻を夜中 2 度起こすことをやっておりました。私は 1 か月半でダウンしました。

妻が気にしていた薬の副作用の便秘が 24 日目、 25 日目と続いて、妻は意気消沈していました。妻は妄想と幻聴があったのだろうと、今白夢は思い起こします。妻の近くに 11 年いたので一番分かっていると思っていたのが失敗でした。近くにいて一緒に生活していて分からないことってあるのだなと思います。

 葬式が終わって、諸事務が終わって、わたしは呆然としていました。 1 週間くらい食事をとってなかったように思います。会社に行って精神の介助の手続きをして、緊急避難的に介助を入れていただきました。生活は少し楽になりました。しかし、生きる気力がなかったように思います。妻がよく言ってました。どんなことがあっても、めんたるにゅーすだけは続けるのよと、その言葉に突き動かされて、白夢は生きています。どんなにつらいときでも母が自殺はしてはいけないと言っていた言葉を思い出します。私はこの世から消えてなくなりたいと思うことがよくあります。妻と母の言葉に突き動かされて白夢は生かされています。こんな私でも誰かの役に立っているのでしょうか。メンタルにゅーすで家族の理解があるようになった、白夢に会いに来る人、 10 年カウンセリングをしている当事者が事務所に来ます。母が言ったように生き続けています。

 大体が毎日、何かしら生きがいを見つけているのは事実です。それでむりしない・あせらない・がんばらないをモットーに生活しています。白夢は被害妄想や悪口の幻聴が残存しています。今でも妻と住んでいた公団にいます。それで人殺し死ねと幻聴があります。

最近妻のフラッシュバックが否定的なものから肯定的な楽しかったことになりました。生活が少しずつ楽になりました。生き続けているといいことがあるものですね。

妻の友人夫婦が時々電話で安否確認があります。上司の K によるプチ・ピアカンがあります。介助者が週 3 日来てくれます。その時に妻にお線香をあげてくれます。会社では声掛けがあります。こうやってたくさんの人達が私にかかわってエンパワメントします。私は幸せです。しかし妻の人望には驚かせられます。亡くなって数年経つのにお線香をあげてくれる人がいるのにはびっくりします。らいとのお母さんと妻は呼ばれていたことを思い出します。ほとんどの介助者が妻の子供のような年齢だからそう呼ばれていたのでしょう。プライベートでは静かな猫のような人で、用があると私に近づいてきました。

こうして妻と死別して彼女の人望の厚さ、猫のような人がいなくなったのは寂しいことです。時が私の心を癒してくれたのでしょう。私も妻の死を受容してきました。しかし普段そこにいた人が、突然いなくなったのは非常に寂しいものです。元気な時はにこにこ笑っていたのが昨日のように思い出されます。私には優しくしてくれてそれがなおさら寂しいです。しかし、私は障碍者運動を続けていきます。妻の遺言を守って長生きします。それが妻が残した言葉だから ‥‥‥‥

人はこうして、配偶者を送って行くのだろうと思います。彼女は私にはできた妻でした。私は親族にやさしい言葉を掛けてもらったことがありませんでした。精神病になってから最悪でした。妻だけが私にやさしく接してくれました。それがなんとも物悲しいことです。私には過ぎた妻を亡くしました。ただ一つ彼女にとって幸せなことは、何年たってもお線香を上げてくれる介助者がいることです。妻の人となりを思い出します。人にやさしく、誠実な人柄を思い出します。

実は妻は長年鬱に悩まされていました。妻の母も鬱で亡くしました。 39 歳でした。妻は 59 歳でした。母より 20 年長く生きられたので良かったと思います。わたしとの生活が幸せだったのかは分かりませんが、私には妻の笑顔が思い出されます。警察からは突発的な投身自殺と言われましたが、良くできた妻でした。

【編集後記】

  妻とは同僚同士の結婚でした。私に何の魅力があって結婚に踏み切ったのかさっぱり分かりません。実は妻に 2 度お付き合いをお願いして 2 度目にプロポーズをして、結婚をしました。しかし妻は、親にきちんと育てられたのでしょう。デートの費用はいつも割り勘でした。お金のことは特に几帳面な女性でした。長年、鬱に悩まされていましたが二人とも幸せな 11 年間でした。妻の状態が一番悪くなった場面に遭遇してなすすべもなく死別してしまいました。入院を 2 日しましたがすぐ退院したいというので退院させました。退院して、最後は、副作用の便秘だけの対処が難関でした。退院して 2 人で、便秘の薬の調整で上手くいかずに亡くなりました。心 妄想という妄想で、自分が重大な病気になったというもので世を儚んで逝きました。妻がこんなに状態が悪くなったのか、初めてでこんな状態を遭遇して私にはなすすべもありませんでした。私は妻の葬式の後、自分の診察に病院に行きました。主治医は入院する必要もない、薬の調整も必要もない、奥さんの残した遺言道理に服薬を守り、食事し、よく眠りなさいと言われました。入院する必要はありませんかと再度言うと、奥さんの遺言を守って、受容しなさいと言われました。

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