メンタルにゅーすヒエダ

Vol.401

「ア・ア・アの法則」

2026 7 1 日   Vol.401

CIL (自立生活センター)下関発行

ピア・ハート下関(精神自助会) 編集 白夢( SAM

TEL(083)-263-2687

FAX(083)-263-2688

E-mail   s-cil@feel.ocn.ne.jp

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  ア・ア・アの法則とは、あせらず・あわてず・あきらめず の頭文字をとったものです。 物事に対処するときの基本則です。調子のいい時に、あらかじめ物事の対処の仕方を考えておくことです。もちろん、一旦停止、パスも、スルーも O.K です。白夢は、一旦停止はしますがパスもスルーもしません。しかし一度だけメンタルにゅーすのホームページのプログラムで上司の K にその仕事はしなくて A 氏に任せなさいと言われたことがありますが、 A 氏は調子のよい返事をしましたが半年、 1 年経ってもホームぺージを作ってくれませんでした。それで白夢は再びホームページ作りに没頭して半年で作りました。このホームページ作りで学んだのは、物事一旦停止もありだなと当時を思い出します。ホームページの仕事は、その仕事から離れて 1 年経って再開しましたが、うまくいったのは、作業に何をやったのかは記録していたのが功を奏しました。記録は作業の再現ができます。自分のやったこと、生きている記録を時系列やカテゴリーにすることはたいせつなことです。後で自分のことを考察するときに役に立ちます。

私は、気が短くて、かっとなると何をするかわかりません。育てられ方が悪かったのでしょうね。私は 2 3 歳頃から父親に殴られて育ちました。子供は親を選べません。父親はアルコール依存でしたから、 3 歳頃から父親に酒を買わしに行かされていました。 ○○ ですがこの瓶に焼酎を 3 合お願いします。父ちゃんがお金はツケでお願いしますとゆうちょってくれといわれました。小さな子供が,父親に酒をツケで買わされに酒屋に行っているのだから、もし酒を持って帰らなかったらどうなるか想像ができます。一度酒屋のご主人に断られて、家に帰ったことがあります。血まみれに父親に殴られて、もう一度酒を買わされに行きました。店の主人は私の姿を見、その後は酒をツケで買いに行っても断られることはありませんでした。情け容赦のない父親の育て方でしたので私は父親を軽蔑していました。何の因果か酷い父親のもとで育ちました。牛刀で身体を 3 か所切られました。恐ろしい父親でした。しかし、私は不良になりませんでした。

話がだいぶ脱線しました。元に戻します。ア・ア・アの法則は、私は何かをするときにあらかじめ物事の全体を考えて、想定できる問題・ミス・不備をあらかじめ考えていました。つねに冷静に考えて、あせらず・あわてず・あきらめないで下関に来て 25 年、生活・仕事をしています。嘱託になって 6 年になります。上司と私は、一生兵隊で仕事をしたいと約束していましたので肩書はありません。理事にも幹部にもなりません。後輩の当事者が、どんどん偉くなっていくのに、同僚はなぜ私が偉くならないのか不思議に思う人は多いと思います。私は日中覚醒時、幻聴と妄想があり残存しています。それらに対処しながら仕事するのが精一杯です。ですから、私は上司に一生兵隊で働きたいと約束しました。

またまた、話が脱線しました。元に戻します。ですから私は、沈着冷静に仕事をしています。まるでロボットのようです。あせらず・あわてず・あきらめないで仕事をすると同僚が助けてくれます。私は、事務所では、仕事のこと以外無駄話はしません。タバコをやめて 15 年になります。それで、仕事のこと以外考えません。それで、同僚をほめることはありますが噂話や悪口は決して話しません。嘱託になって勤務時間を短くしてもらいました。状態はそうっぽくなったときは、問題行動がありますから、早めに対処します。私は精神障碍の統合失調症でもちゃんと働けて仕事ができる証明をしています。それだから、あせらず・あわてず・あきらめないようにしています。しかしこうやって仕事をしていると、皆が助けてくれますので私は有難く思っています。またこれからは、私の仕事を後進に伝えていかなければなりません。また、自分がやらないといけない仕事だけで、ほとんどの事務の仕事を後進の当事者に伝えていかないといけません。こういった時にあせらず・あわてず・あきらめないように自分の腹に据えて仕事をしないといけません。また、アガムの法則(あせらず・がんばらず・むりしない)やタコムの法則(たたかわない・こくふくしない・むきあう)なども大事ではないでしょうか。

上記のことは、私が病気と障碍を抱えて 42 年間の時の中の CIL 下関での 24 年間で真面目に誠実に生活をし・仕事をし・人と接し、下関で人生を遣り直したからわかったことです。統合失調症になって自暴自棄になった期間も 20 年間ありました。私が変わったのは、援護寮ヒエダに入所し自立の訓練をし、精神病・制度の勉強をして CIL 下関の上司 K, に巡り合ったから今の自分があります。辛いこともありましたが辛いとは思いませんでした。

【編集後記】

 人は、人の中で育てられ、成長します。私は 43 歳からここ下関で人生を遣り直しています。時間は立ちましたが少しずつ人に信用されつつあります。だから、あせらず・あわてず・あきらめないで、生活・仕事をしています。多くを求めず・完璧を求めず生きています。上司の K は、私を静かに見守ってくれます。メンタルにゅーすを校閲してくれる MHSW の土井氏も私を見守ってくれます。彼とは、援護寮の PSW の頃からの付き合いです。お互い職場も立場も違いますが、もう 24 年の付き合いです。共通なのは、精神の福祉の仕事をやっています。私が援護寮で援護寮ヒエダ新聞の編集から現在進行形のメンタルにゅーすヒエダの編集の校閲を 4 半世紀続けてくれています。私は大変ありがたく思っています。人と人の付き合いは、お互いの信用という目に見えないものの積み重ねです。私も少しずつ信用がついてきたようです。援護寮の職員の連絡先を教えてもらいました。その信用がつくまで、 20 年という時の流れがかかりました。ところで、私は下関に移住して 25 年が経ちました。縁があって、援護寮ヒエダからニュースレターを 25 年続けています。時のたつのは長いようで早いですね。私は人の中で生かされています。メンタルにゅーすを読んでくださっている皆さんどうも有難うございます。


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