昨年9月、結婚式を内々でカットリック教会で挙げて、9月末に由布院へ新婚旅行にいきました。私は、自分は病気と障碍を抱えているので、一生結婚できないだろうと思いました。しかし、結婚することが出来ました。結婚式は、友達・知り合いにも、知らせなかったです。
二人で過ごすことは、一人暮らしとはまた違った意味でいい感じです。下関での一人暮らしは、きちんきちんとしてないと嫌なことが多かったです。今は、のんびり・穏やかに生活しています。まあ無茶苦茶、几帳面で・気が短かったのが、結婚するとええかげんで気が長くなりました。今はまったく、怒り・イライラしません。一昨年、入院したときには、私はこれで婚約者とはおしまいだと思いました。彼女に聞いてみると退院するのを待っていてくれると言ったので安心しました。
残存した幻聴と妄想に対処し、職場で完全就労(9:00〜17:00)するまで、1年半くらい時間がかかりました。精神病の病気と障碍に対処することは、生易しいことでは身につきません。私たちを見守ってくれた職場の上司・同僚には感謝しています。また病院の主治医・看護師・施設職員、また友人たちにも感謝です。どうも有り難うございます。
結婚してから、妻を怒ったことは一度もありません。私が小さな頃は、極端に貧しい家庭でしたので母に甘えることが出来ませんでした。母は、働きづめでした。だから、知性的で優しい人に甘えたかったのではないかと、そんな人を望んでいたのではないかなーと思います。主治医にそう言われましたがまったくそのとおりだと思います。結婚する前に二人で決めたことがあります。「政治・宗教・思想・仕事」のことは、家庭生活で話さないことに決めました。ときどき、話したりするときは、お互い聞いているけど相手にしません。
仕事も同じ職場、家庭でも一緒なので妻に尋ねると、ひとりでボーっとしたいとか、好きな映画を鑑賞したい、市民運動にも参加したいとも話しています。今は、土・日のいずれかはお互い一人だけの時間を作っています。
食事は、一緒に作ります。また、作ってくれといえば、作ります。但し私の作る食事はハイパワー・ハイカロリーです。二人でダイエットをしていますので、私の出番は余りありません。よっぽど妻が疲れたときは、私が食事を作ります。援護寮ヒエダで調理する事を覚えましたので、特にこれが難しいというものはありません。
人ごみの中は苦手です。最低限の時間で用事を済まします。人ごみの中では、生活音と幻聴の二つで精神的に辛いです。それか、事前に頓服を飲んで出かけると、辛さがやわらぎます。勿論、生活音と幻聴の聞き分けは出来ますが今更、精神的に辛い場所に無理して出て行くこともないと思っています。
私は、休日は土・日のどちらかはドライブをしています。車の中でクラシックを聞きながら走るのは至福のときです。車の中でクラシックなど聴いていると眠くなると思われますが私は眠くないです。この時がいいのです。誰も分かってくれないだろうな?
そうそう最近、夕食後に散歩をしています。これには理由があります。妻に一緒にダイエットしようといわれて、毎日2〜3km歩いています。私は歩くのが普通の人より早いみたいです。それか、彼女が歩くのが遅いのか・・・・・・・・・・?
ただ、私は持久力がありません。アパートに帰るとへとへとになります。彼女は私が散歩に行かないと言うと嫌味を言います。私は、そのとき、カチンと来ます。負けず嫌いなのか、何とか散歩が続いています。私は、まるで妻の掌の上でころころ回って操られているようです。こんな感じで生活しています。良いこともあり・悪いこともあり・悲しいこともあり・楽しいこともあり・辛いこともあり等いろんなことを二人で共有できることが幸せなのかなと思います。
【編集後記】
昔、誰かが言っていました。楽しいことは一人で経験できることより、二人で経験できることは相乗効果があると、また、苦しいことは二人で経験するので半分になると・・・・・・・・・・・・私たち二人はお互いに病気のときも健康なときも悲しいときも楽しいときもどんなときもお互いを助け合い慈しみ合うと、神様の前で誓約しました。だから、どんな苦難のときも楽しいときもどんなときもお互いに助け合っていきていくことを約束しました。教会のあの凛とした雰囲気の中で、神様、主なるイエス・キリストの前で・・・・・・・
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