メンタルにゅーす46 メンタルにゅーすVol.46

 

メンタルにゅーすヒエダ

 

障碍者差別

 

2009年  Vol.46

CIL(自立生活センター)下関発行

ピア・ハート下関 編集 SAM

Tel(083)-263-2687

FAX(083)-263-2688

E-mail  s-cil@feel.ocn.ne.jp

URL  http://members.jcom.home.ne.jp/s-cil/

 私は、24歳を迎える少し前に、統合失調症を発病しました。この病気は、15歳から30歳の間によく発病します。発病する頻度がこの年齢の間に高いみたいです。統合失調症は、100人に1人が発病します。発病に男女差はありません。日本では人口が13千万人とすると130万人くらいが統合失調症に罹患しているようです。この病気は、若者の人生を台無しにします。

 42歳のときに、生活訓練施設の援護寮ヒエダ(病院と社会の中間施設)に入寮しました。

ここで、少しずつ社会復帰に向けて、様々な訓練をしていました。といっても、たいした事ではありません。服薬管理、金銭管理、調理、整理整頓、掃除、洗濯、入浴、人間関係の再構築等一人暮らしが出来る程度の生活訓練を23年間入寮して勉強します。

かといって、毎日、厳しく指導を受けたかといえば、そうでもありません。ゆっくり・確実に少しずつ身につけていきました。

 私は、下関市外の精神科病院を退院して援護寮ヒエダに来ました。入寮するとすぐに援護寮ヒエダを一人で外出することが出来なくなりました。完全な施設症(ホスピタリズム)になりました。稗田病院の敷地内に援護寮ヒエダがありましたので、社会との対面で、温室にいたみたいです。不思議なもので私は、ゆっくりですが社会復帰をしてきました。

援護寮ヒエダにいる間に私が父の墓を立てるときに、私自身が業者に精神障碍者だと話したからだろうなと思いましたが、次のようなことを言われました。業者は私に墓を立てるに当たり、態度ががらりと変わり、援護寮の職員に相談指導してもらうことと、保証人になってもらうことなどを要求してきました。私は、墓の建立が出来れば、業者が納得すればいいと思いました。業者は、私がお金を持っていることと、間違いなくお金を払ってくれることの保障を確実にしたいだけだろうなと思いました。一人の大人の人間とは、考えてくれませんでしたので悲しかったです。これが、社会復帰の初めての差別でした。

もう一つの差別は、一人暮らしをするにあたり不動産から半年間、仮契約でアパートに入居して、半年後に本契約をするということでした。それくらい、精神障碍者は信用できないのかと、思わず握りこぶしが自然に出ていました。上記、二つの差別以外に下関で私は受けたことがありません。

私が統合失調症を発病した26年前、家族親族内での差別がありました。私を人間と考えてくれず、「おい」とか、「お前」とか、「このきちがい」とか、様々な罵声がありました。このような罵声を今、思い起こします。

映画やマスコミなどで、統合失調症者は「人格が二つある。」「何をするかわからない。」「怖い」などのイメージが作られることで差別や偏見などが助長され、当事者は辛い日々を送っていました。

援護寮ヒエダに入寮中に統合失調症という病気と障碍のこと、予後(病気の今後の経過)など、勉強を始めました。少しずつ自己覚知してゆき、病気と障碍のことや制度のことなどを勉強して、「援護寮ヒエダ新聞」と名づけて、いつの間にか毎月、新聞を発行していました。援護寮ヒエダ新聞を発行した後、職場の上司から、財団などに助成の申請をしてみて、いずれは、冊子にしてみましょうと言われました。

3年くらい職場で安穏としていました。「冊子の財団助成(キリン福祉財団)」が決まって、1000冊の「精神障碍者自立生活マニュアル」発行しました。この冊子は、今は、在庫が100冊くらいしか残っていません。ご希望があれば、この冊子をお分けすることが出来ますので連絡ください。(送料のみ自己負担していただければ、冊子をお分けします。:平成17年に発行しました。)

 文明が発祥して、何万年、何千年が経ちます。これだけの時間が経って差別することが受け継がれたものだから、そんなに簡単に、差別がなくなりはしないと思います。

それだから、私は、この下関が、障碍者にとって住みやすい市でありますように願ってやみません。長い時が経って差別が形成されてきたので、同じくらいの時が経って差別はなくなるのでしょう。

今、援護寮ヒエダはもうありません。援護寮ヒエダが私の障碍者運動の原点でした。今後も、ピアサポートを少しずつ広めて、障碍者運動をニュースレター「メンタルにゅーすヒエダ」で続けてゆく所存でございます。みなさんが少しでも、精神病のことを理解・共感してくだされば、編集のSAMはこの上のない気持ちで一杯です。

 

【編集後記】

 援護寮ヒエダの施設長に「統合失調症の本を貸して下さい」と言ったのが、これ以後の私の再出発点となりました。この施設は私の下関での人生のやり直しのターニングポイントでした。この前、ある人と話したら「援護寮ヒエダ新聞(後の精神障碍者自立生活マニュアル)」を持っているという人がいました。この施設にいたことが思い出されて懐かしく思います。しかし、「援護寮ヒエダ新聞」を持っているとは有難いことだと思います。編集した私でさえ持っていないのに・・・・

あの頃を思い出すと、正に寮生どうしでピアサポートをしていました。その後の私がCIL下関で、障碍者運動に繋がる仕事をしているとは思いもしないだろう・・・・・

トップページに戻る