メンタルにゅーす49 メンタルにゅーすVol.49

 

メンタルにゅーすヒエダ

 

徒然なるままに

 

2009年  Vol.49

CIL(自立生活センター)下関発行

ピア・ハート下関 編集 SAM

Tel(083)-263-2687

FAX(083)-263-2688

E-mail  s-cil@feel.ocn.ne.jp

URL  http://members.jcom.home.ne.jp/s-cil/

 皆さん、こんにちは。お元気ですか?私は元気にやっております。毎日寒いですね。私は、寒いのは何とか耐えることが出来ますが、暑いのは耐えられません。家のエアコンは妻がうるさくいうので設定温度を極端に下げることが出来ません。夏はだいたいが24度前後に設定しています。

 私が、几帳面なのは妻も認めるところです。今年の冬の電気代と夏の電気代を較べてみました。冬は9000円、夏は4500円くらいでした。電気コタツ、エアコンを使うだけでこんなに電気代が違うのかと思いました。エアコンは最近買ったニューモデルです。かえってエアコンを使うと電気代が高いと思っていましたが実際には安かったです。冬に電気コタツを使うと電気代が高いです。(これは、私の家庭の電気の遣い方です。)

車でも、ハイブリッド車は燃費が38km,軽自動車でも20kmくらいです。

石油枯渇年数をインターネットで調べてみますと「68年(石油枯渇年数)」といわれています。この夏は、電気製品のエコブームで賑わっていました。車はガソリン、電気製品は電力で動いています。世の中の殆どのものが、化石燃料(石油、石炭)か電力か原子力でまかなわれているのはみなさんもご存知かと思います。

 私たち人間は、食物と空気と睡眠、出来れば仕事をして給料がもらえて1ヶ月生活できるほどのお金があればいいなと思います。障碍者には、その障碍の特性により仕事が無理な人もいますので仕事を持つことが最終目標ではありません。

 私が精神の障碍を持って26年が経ちます。何故か、下関の援護寮ヒエダに来てから、無性に統合失調症についてと、制度について知りたくなりました。それで、「援護寮ヒエダ新聞」を編集したくなりましたので、援護寮の施設長に許可を得て、毎月編集していました。

「援護寮ヒエダ新聞」の編集を始めたのが9年前、施設を退寮して36号まで編集しました。

その後、自立生活をはじめました。地域社会で、仕事を持ちながら一人暮らしをはじめて、すぐに「メンタルにゅーすヒエダ」の編集を始めました。メンタルにゅーすの発行は、障碍者が地域生活をするために色々な制度、私の病気と障碍をもって生きている有り様と私の思いを伝えています。個人的には、障碍者をエンパワメントしていければいいなと思います。当事者が自分自身をどうにかしたいと思ったときに、自立生活センターのピア・カウンセラーはクライアントのお話を傾聴します。クライアントの目的がはっきりしていくまで聴いてあげます。特にアドバイスはしません。クライアントも、話していくうちに頭の中が整理されてきます。結果的に、当事者がエンパワメントされて、上手くいったこと・まずかったこととなります。「エンパワメント」とは「自分自身の内側から湧き出る力」に目を向け、それを呼び覚まそうとすることをいいます。ここで、予め考えて、腹積もりをして欲しいことは、結果的にいいことだけがエンパワメントではなくて、失敗もエンパワメントだということです。失敗も、今後に向けて学習することでエンパワメントされたのだということです。障碍者には失敗する権利もあるのです。

 そういえば、私は自立生活センターで働き始めて、その有り様を勉強していました。

私の生き方を言葉に出来なかったことが、この団体の中に見つけることが出来ました。

それは、「自己決定」「自己実現」「自己責任」ということです。私は、自分のことは自分で行い、責任は自分で取る。分からないこと、失敗の原因を今後に向けて考えます。そして、また、トライします。きちんと出来るまで諦めず、上手くいくまで続けます。自分の頭の中に整理して保存し、いつでも仲間に伝えられるように準備しておきます。

 忘れておりましたが、自分の周りの当事者に何人かフラッシュバックについて聴いてみました。私は、嫌なものが多いのですが、楽しかったこともあるよといわれました。私は、全部が全部いやなことなのですがどうしてだろうと考えます。しかし、私はフラッシュバックが起きると、自動的に楽しかったことを思い出すようにしています。これで何とか対処しております。

 私が下関で生きてきた証はニュースレターに始まり、ニュースレターを続けていくばかりです。「援護寮ヒエダ新聞」「メンタルにゅーすヒエダ」と続いています。援護寮ヒエダ新聞は「精神障碍者自立生活マニュアル」として冊子にまとめあげました。今後は、この冊子の改訂版をメンタルにゅーすヒエダなどの加筆で作りたいと思います。

 この下関での9年間は新たな私の人生に向かったひと時でした。人というのは支えあって生きていくのだと、人に育てられていくのだと実感しました。必死にもがき・苦しんだひと時でした。いろんな人が、私を支えてくれたことを感謝しております。私は恵まれているなーと思います。

【編集後記】

 私は「物事を否定的に捉える癖」というかパターンがあります。それがあるので嫌なことのフラッシュバックが起こるのではないかと思います。何故、こういったパターンの物事を考える癖が生じるのか分かりません。このことは、少し脳科学や精神病の勉強をしてみたいと思います。私も50歳になりましたので、これからいつまで生きるか分かりませんが、私の今後のタスクとしましょう。今もって不思議なことがあります。私が援護寮を退寮して、生まれ故郷の山陽小野田市に帰らないで下関で暮らしたから、仲間が出来たし、結婚できたし、今の仕事をしています。人生とは、摩訶不思議ですね。私は、人と人の触れ合いなど考えたこともありませんでした。病気になって、人生を投げ出して、自分には、幸せになれないと考えていました。しかし、自分の人生投げ出すのはまだ早い、結果は死んでしまった後に評価されるのだろうなと思います。いまはただ、精神障碍者でもきちんと病気と障碍に対処して生きていくことが出来る、まだまだ、生き続けるんだと・・・・・

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