メンタルにゅーす56 メンタルにゅーすVol.56

 

メンタルにゅーすヒエダ

 

一期一会

 

2010年  Vol.56

CIL(自立生活センター)下関発行

ピア・ハート下関 編集 SAM

Tel(083)-263-2687

FAX(083)-263-2688

E-mail  s-cil@feel.ocn.ne.jp

URL  http://members.jcom.home.ne.jp/s-cil/

 私が生活訓練施設援護寮ヒエダでお世話になった夜警のSさんが、33日に亡くなりました。彼は、名前がTomomiといいます。よく女性に間違えられるとこぼしていました。おりしも亡くなった日は「ひな祭りの日」でした。私が援護寮ヒエダに入寮したのは平成1321日ですがすでにその頃、援護寮の夜警をしておられました。仕事に対して真面目で、責任感の強い方でした。私は、Sさんの夜警の日が楽しみでした。いつも、1時間くらい事務所で色んな話をしてくれました。精神障碍者に理解があり、私を一人の人間として対応してくれたことが私は嬉しく思いました。その頃Kさんという女性と私の寮生二人をとてもかわいがってくれました。彼も私もコーヒーが好きで、話をしながらコーヒーを飲んでいた記憶が強く残っています。彼の仕事ぶりは、10年前からずっと同じで、援護寮の職員から人望も厚かったです。淡々とした仕事ぶり、几帳面な仕事ぶり、SさんはいつもKさん、SAMさんと声を掛けてくれました。あの声が、もう聞こえることはないと思うとなんか寂しいですね。私が、援護寮ヒエダにいた29ヶ月の生活はSさんのおかげでとても楽しかったです。

 私は人に恵まれている。ピア・カウンセリング長期講座の講師エンジェルにもかわいがってもらいました。私は、ピア・カウンセリングの勉強で広島に研修に行きました。長期講座では、精神障碍者の私は1時間しか集中できないと言うと、長期講座はSAM中心に1時間おきに休憩するからと、女性なのに竹を割ったような人で男気を感じさせる人でした。ときどき、私にメールをくれていたことが大変嬉しく思いました。エンジェルは、大変忙しい方で日本中をピアカウンセリングの講師で回っていました。電話で話すとハスキーな声で私を笑わせてくれる人でした。エンジェルは電動車いすに移乗するときに失敗して頭を強く打って亡くなりました。

 私がお世話になった人たちは、次々に亡くなっていきます。彼らのほうが私より年が上なので順番から言えば私より早く亡くなるのは当然なのだが、何とこの世は不条理なことなのかと思います。彼ら二人は、しかも、たくさんの人から惜しまれて亡くなっているのです。私が下関に移り住んで、CIL下関で働き始めて知り合った人達なので感慨ひとしおです。私は、まだまだこの世に生きて私に与えられた仕事をもう少し、もう少し生きて、社会にお世話になったお返しをしなければいけません。私は、彼らをお手本にして長く長―く生き続けようと思います。しかし、彼らのほうが人間的に大きくて、とても彼らのような生き方が出来ません。しかし、私は彼らに近づくように少しずつ少しずつ目指していきたいです。

 次は、現在も世話になっている人、地域生活支援センターの施設長Dさん、彼とは長いお付き合いをしています。平成14年からですから稗田病院の施設で9年目ですね。私が「援護寮ヒエダ新聞」を編集して2年目から今もお世話になっていますから、私の寛解期を知っている唯一の人です。私は、「援護寮ヒエダ新聞」から現在も続く「メンタルにゅーすヒエダ」までを編集するのに当たり、DさんにPSWとしてチェックしてもらっています。新聞の内容は私が毎回考えて編集していましたが、内容・校正をしてもらいました。Dさんは、いつもあの調子で淡々と私に接してくれます。私にとっては、メンタルにゅーすまで続く、長い付き合いになる大切な人です。

ときどき、地域生活支援センターに行き、私の近況を聞いてもらいにDさんに会いに行きます。悩みや仕事のことなど愚痴を聞いてもらうこともあります。Dさんは、話を淡々と聴いてくれます。何時も忙しいのに、ちゃんと時間をとってくれます。有難い事です。

 職場では上司のKさんが私の話を聴いてくれます。私が仕事をし易いように人間関係や環境を作ってくれます。私は、臨機応変な対応が出来ないのでサポートしてくれます。

事務局長のMさんは、人の話を聞くことが上手な人で私がテンパッテいると落ち着いた物腰で話を聴いてくれます。

 私の周りは、私という人間を認めて受け入れてくれます。心配してくれます。私は、たくさんの人達に恵まれて、仕事・生活をしています。そういえば、その中に連れ合いもいます。私は、全てのことを否定的に考えます。肯定的に考えるようにしないといけません。私は、本当に、上司、同僚、主治医、看護師、施設職員、友人に恵まれています。有難い事です。私は幸せ者です。

 

 

【編集後記】

 私は、下関で生活して10年が経ちました。下関に来てから、これからは人生をやり直すつもりで腰をすえて、人間関係を構築しようと思いました。そして、将来的には自立して、人に迷惑をかけないように、穏やかな生活をしようと考えていました。もう一つは、漠然とした思いですが福祉関係の仕事をしてみたいなと思いました。また、始めたことは、最後までやり遂げよう、絶対に途中でなげださない、そう決心しました。以上のことを守って社会に役立つ仕事に就こうと考えていたら、いつの間にか自分の目指した思い通りの仕事をしている自分に気付きました。この仕事は、私の残りの人生の時間を遣って、障碍者運動を続けていくに値する仕事だと思います。私が、人のために働くとは、28年前の自分では考えもしないことです。先に亡くなった、Sさん、エンジェル、私の記憶の中では彼らは鮮明に思い出せます。どうか私を見守っていて下さい。

トップページに戻る