メンタルにゅーすVol.59

 

メンタルにゅーすヒエダ

 

非定型精神病

 

2010年  Vol.59

CIL(自立生活センター)下関発行

ピア・ハート下関 編集 SAM

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E-mail  s-cil@feel.ocn.ne.jp

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 私は統合失調症と躁うつ病の症状があります。2大精神病といえば、統合失調症と躁うつ病ですが精神病者の10人に5人くらいは、これらに該当します。私はもう、統合失調症と共存して28年目になります。いろんな人に心配をかけましたし、お世話になりました。病気と障碍のことは、私が発病したとき患者には具体的には教えてくれませんでした。

その当時、患者が病気と障碍のことを知ると調子が悪くなると考えられていました。それでも、私には山口大学付属病院の精神科の主治医は、統合失調症(精神分裂病)と病名だけは教えてくれました。統合失調症を発病して初めて入院した病院でした。精神分裂病という名前で、私は心の中で不治の病で一生病院に入院だと思いました。それほど、ダメージ(差別、偏見、汚名)のある病気でした。

 初回の入院が3ヶ月、服薬しないで半年位してうつ状態になって3ヶ月の入院をしました。私は当時、統合失調症のことは、さっぱり分かりませんでした。家でゴロゴロ寝ているだけで、怠けているように見えるようですが自分の意志で何かをやろうとする意欲がなくなるというか、辛い日々でした。これら2回の入退院後、15年間入院をしなかったです。多分、服薬を守っていたから入院しなかったのでしょう。家族は私を見て、怠けているように見えるのでしょうか、毎日仕事を探して働けと責め苛まれていました。

 統合失調症という病気が、家族にも私にもさっぱり分かりませんでしたので辛い毎日でした。統合失調症は、頭の中で何か行動することを考えても、さっぱり考えがまとまらず動き出すことができなくなります。健全者から見ればなんということはないこと(ADL:日常生活動作(洗面、入浴、化粧、髭剃り等))ができなくなります。病気の予後、病気と障碍にどのように対処して生活していけばいいのか、薬のこと・制度のことなど主治医や看護師は何も教えてくれませんでした。

 そのほかの症状では周期的に躁とうつがおそってきます。躁になると自分がスーパーマンのようになんでもできるみたいな思念がわいてきます。うつになると、家から出ることが出来ず自分自身を責め苛み、一日中家の中で布団に横になってゴロゴロしていました。気分が上がったり沈んだりしていました。気分が上がったときに、ハローワーク(安定所)で仕事を紹介してもらい、面接を繰り返していました。今、統合失調症と呼称が変わりましたので、差別や汚名をかけられることはありません。たしか統合失調症と呼称が変わったのは2002(H14)年の1月のことです。

 私は、H9年に3回目の入院をしましてH132月に退院しました。その後、下関市の生活訓練施設援護寮ヒエダという施設(病院と社会の中間施設)で社会復帰に専念していました。稗田病院の敷地内に援護寮ヒエダがありました。それで稗田病院に通院していました。

稗田病院で初めての診察のときに非定型精神病と言われたことはないですかと主治医に尋ねられたことを覚えています。統合失調症と躁うつ病の症状がある場合、どちらの病気ともいいがたい両者の特徴を併せ持つような精神疾患を非定型精神病と言うみたいです。躁うつ病のとき、そう状態では運動量が増えて、痩せていました。うつになると家に引きこもり、躁状態のときの言動で責められているような気がして毎日死にたかったです。病気と障碍を受け入れることが出来ずに、何故毎日苦しいのか、原因が分かりませんでした。援護寮で統合失調症と躁うつ病の勉強をしていたら、それぞれの病気の意味が分かりました。どんなメカニズムで病気の症状、副作用が現れるのか、納得がいきました。同じ病気で一般就労している人に相談すると、病気や障碍の対処の仕方も分かってきました。一度に、たくさんのことは出来ませんので、一つずつ確実に病気や障碍のこと、それらの対処の仕方、制度を勉強しました。

 援護寮ヒエダで統合失調症の寮生にピアサポートを受けたことで、将来は、精神障碍者のピアサポートの仕事をしたいなと思い始めていました。ほんの淡い私の思いでした。

援護寮ヒエダでは、思い返してみると職員が寮生を一人の人間として、認めて対応していたようです。つまり、医療モデル(管理されて生きること:施設、病院)でなく社会モデル(自分の意志で生きること:社会で自立生活をすること)として、援護寮の職員は接してくれていました。

 私は、数奇な人生を辿って今下関に住み、障碍者団体のCIL下関で働いています。病気が統合失調症、躁うつ病、非定型精神病・・・・どんな病名と診断されようが構いません。その病気と障碍に対処しながら、静かに穏やかにのんびりと生きていければいいなーと思います。私には当事者の知り合い、施設の職員、病院の主治医・看護師がいます。何かあれば、彼らに相談します。私は自分の調子を崩さないように精神障碍者のピアサポートをしていきたいです。

 何かこの28年間を振り返ると、私はあせったり・がんばったり・むりをしたりしていました。これからは病気や障碍と共存して上手く生きていきます。下関に来て、CIL下関で今の私のボスに出会っていなければ、私は仕事にプライドとやりがいと責任を持ってしていないだろうし、続かないと思います。本当に偶然、上司と同僚に巡り合って、私を受け入れてくれた、今の職場があればこそ自分があるのです。私は、ゆっくり確実に一歩一歩進んでいきます。

 

【編集後記】

私の抱えている病気は統合失調症です。今のこの病名は差別、偏見・汚名などを含んだ意味合いはもうありません。統合失調症に罹患したことは、遺憾なことです。ただ私は病気になったことの経験で、精神障碍者にピアサポートをするべき仕事が私の使命だと思います。ピアサポートすることで少しでも、当事者の役に立てれば嬉しいです。

私の家庭は、小さな頃から、生活保護を受給していました。過去も現在も私は、社会から様々な恩恵を受けています。私の仕事の精神障碍者のピアサポートは微力かもしれませんが、私は社会へ還元しようと思います。下関市が障碍者の住みやすい市でありますように私は仲間をサポートして、この仕事を継続していきます。これからも皆様、宜しくお願いします。

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