私は援護寮ヒエダを退寮したら故郷山陽小野田市に戻ろうと思いました。ところが、援護寮ヒエダのPSW(精神保健福祉士)がSAM故郷に戻ってもいいこと無いよといわれました。自分のことを精神病だと知っている人や友人がいます。そのような山陽小野田市での環境より、下関市で一からやり直していけばいいのではないですかと勧められました。
すぐに返答が出来ないので暫く時間が欲しいと1週間ほど待ってもらいました。私は、故郷と下関を両天秤にかけてメリット・デメリットを考えてみました。下関で全くゼロスタートするのでとても不安でしたが、今後、私が生活の基盤を下関で送るのはいいことばかりでした。ただ、人間関係を構築することは私にとって不得手です。
しかし、私にとってチャンスであり、ワクワクする気持ちで一杯でした。それでPSWに下関で生活することを報告しました。
下関で暮らすと言うことは、退寮後仕事と生活の基盤をここに置くと言うことです。あんまり深刻に考えても仕方ないので、一日一日を噛み締めて大事に生活していれば何とかなるだろうと思いました。そして、私には、沢山の仲間・友人、主治医・看護師・施設職員などと知り合いになりました。また、職場の上司・同僚、はたまた、こんな私でも結婚が出来たのは嬉しいことばかりでした。知り合った人たちは私の宝物です。これからも、皆さんよろしく御願いします。
こうして下関での自立生活が始まりました。私は、自立生活の前1年間を仕事に援護寮から通勤していました。そして、寮では生活技術の習得に専念していました。その中での調理・金銭管理・ドラッグ管理などが出来るようになったのは後年とても役に立ちました。
その他に、洗濯・入浴の習慣・整理整頓・掃除なども身につけることが出来、援護寮の職員に感謝しています。
一人暮らしのお話に入ります。何はともあれ全て自分のペースで、生活がおくれますし、怠けることもできます。私は、クラシックが好きですので良く聴いていました。隣近所の付き合いがしたくないのと、幻聴と妄想が残存していますので鉄筋コンクリートの一人用のアパートにしましたが、隣や上階の人などの生活音がよく聴こえていました。時々、支援センターや援護寮に行って様々なことを相談にのってもらっていました。最近、たまに、援護寮で生活していたときのことを思い出します。あれから、10年が経ちました。また、あの頃の私が現在の私に会ったらビックリしてしまうでしょう。格段の、私の進歩があったことは事実ですが・・・・・・・・・
今思えば、自立生活でひとり暮らしするのに困ったのは、食料品が特に生鮮野菜が家族用の量なのでよく余って腐らせていました。お金の倹約するため、なるべく自分で調理していました。そういえば、一時期、弁当も作って仕事に通勤していました。何はともあれ自己決定・自己実現・自己責任や失敗をすることで学習して充実した毎日でした。この頃、毎月の給料で貯金を少しずつしていました。自分のサラリーマン生活で貯金をしたことがありませんでしたが、40歳を過ぎてからお金に使われる生活からお金を管理する生活へと変わっていきました。
時々、友人が私のアパートへ泊まりに来ていました。また、今は、認知症でグループホームにいる母が外泊で泊まったりしました。私の生活を見て母は安心したようです。もともと、私は長男ですので母の面倒を見るのが当たり前ですが、自分の病気や障碍・連れ合いとの生活で精一杯です。私は、貯金をしてそれで父の墓を建立しました。墓の建立で母は、安心しています。母は、兄弟3人の中で長男の私を一番かわいがってくれました。その私が統合失調症に罹患して、さぞや心配して悩んでいたでしょう。私は、下関で自分の人生をやり直すことを決心しました。幸いにもCIL下関に採用されました。何とか働いた給与で生活ができるようになりました。
時々、調子を崩して勤務形態を変えて働いて、病気と障害に対処しています。私は、少しずつ仕事を覚えて何とかそれをこなしています。生きていくことは、とにかく継続することです。継続することで、それが自信・誇り・遣り甲斐となります。そして、周囲の人達に信用がついてきます。私は、振り向かずただまっすぐ前を見てゆっくり進んでいます。
私には、今の仕事・生活が実現できましたが、皆さんにはまた別の生活が実現できるでしょう。私は、自分の人生を投げ出したこともあります。それでも、それを立て直して現在の仕事を持ち、生活を築き上げました。私は人生の、台風・雨・嵐・曇り・雪・晴天など様々な天候を体験しました。今思えば、ドラマチックな人生でした。今は、連れ合いと穏やかに静かに生活しています。少し、健全者とは人生のスタートが遅れましたが亀のように進んでいきます。
【編集後記】
私は、病気と障碍に対処できるまでに30年近く時間がかかりました。服薬と通院を忘れて、調子を崩してしまうことがあります。それは、今後もあるかもしれませんが、出来るだけ調子を崩すリスクを最小限にしたいです。とにかく、服薬と通院を守って人生を送っていきたいです。4回目の入院で、性根が入りました。周囲の人、連れ合いには、大変心配をかけました。私は、これから調子を崩さぬように私と連れ合いと仲良く生活していきたいと思います。今、私の心の中は、静かで穏やかです。イライラしないし落ち着いて仕事をすることが出来ます。春の、澄み渡った空のようにあせらず・頑張らず・むりしないで人生を送っていきたいですね。どんなときも、落ち着いて仕事・生活を送っていきたいです。
まだまだ、私のやるべきことは沢山あります。ボチボチ・あせらないで直面する問題に病気と障碍に対処して生きていきたいです。
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