私は、調子の浮き沈みがあるものの、状態は次第に落ち着いて穏やかな生活をしています。4度目の入退院から3年を迎えます。退院してから施設症になって、また私の残存した幻聴と妄想に対処しながら生活をしていました。退院してすぐに職場に復帰しました。仕事には、すぐには慣れませんでしたので短縮就労しながら完全就労に移行していきました。仕事が終わってアパートでは、幻聴と妄想で、隣近所の人が怖くなりました。辛い日々が始まりました。
この3年間の間に結婚して、今はのんびりした生活を送っております。いままで、私は一人暮らしでは、ストイックな生活をしていました。そして、暗い一人暮らしを送っていました。家事(掃除・整理整頓・調理・洗濯・金銭管理・ドラッグ管理等)きちんとしていました。自分に厳しいタスクをかけて生活しておりました。アパートにいても寂しい、暗い、辛い生活で、気持ちが休まらない日々でした。人との付き合いは、殆どなく、何のために自分は生きているのだろうかと自問自答の繰り返しでした。
私は、3年前減薬に取り組み調子が悪くなり入院しました。この減薬のはざまで妻にプロポーズしました。後で職場の仲間と話したときに、「減薬への挑戦がなかったら、SAMは結婚しなかったと思うよ」。と教えてくれました。薬によって抑えられていた私の心の中のスイッチが入って結婚に踏み切ったのかなーと思いました。それまで、私は一生一人で生きていくと考えていました。妻も彼女の両親も、彼女は結婚しないで一生一人で生きていくと考えていました。私たち夫婦は二人とも一生結婚しないものと思っていたわけです。
何の巡り会わせか私たち二人は結婚しました。毎日、お互いが助け合って生活しています。
楽しいことが2倍になり、辛いことが半分ずつになります。また、お互い当事者ですので、お互いの気持ちが共感できお互いサポートしながら平静・平穏に過ごしています。
結婚して2年が経ちました。お互いの良い所、わるい所が見え隠れする時期になりました。私は、妻の掌の上でころころ回されて生活しています。時々、喧嘩をやりそうになりますが、私は相手にしません。大体が妻の話を聴いてどうしたいのか、彼女の望みを叶えてやりたいと思っています。彼女の機嫌が悪くなるときは、ある予感がしますので、私も気を落ち着けてスタンバイしております。生活のリズムがお互い違うので上手くやっていけるだろうかと思いましたがその心配は徒労に終わりました。
私たち二人は、何か問題・不安・悩みがあればお互いに相談したり、話し合って生活しております。お互いに共感できることはして、仲良く生活していくつもりです。
私は、何の巡り会わせか統合失調症を罹患して28年を迎えました。発病して28年近く経って、病気と障碍のこと、対処の仕方、薬の副作用、制度など体験したことを精神関係の本を買って、勉強しました。「時は過ぎ行く。」と申しますが、28年間病気と障碍を抱えて、あっという間に過ぎ去ってしまいました。今もそうですが、統合失調症に対する差別・偏見・汚名をそんなに理解されたとは思えません。しかし、私たち、精神の当事者が、社会に訴えていかなければ、何も私たち当事者の置かれた状況は変わりません。私は、調子のいいときだけでなく、調子の悪いときも仲間や、主治医・看護師にお世話になっています。
一人で生活するより二人で生活する方が楽しいです。辛く悲しいことは半分に、楽しいことは2倍に体験できます。何時も傍らに自分を信じて共感してくれる連れ合いがいるなんて、こんな幸せなことはありません。結婚することが出来て、私は本当に幸せです。
私は、下関で生活して、10年目になりました。CIL下関で働いて9年目を迎えます。私は、ここ下関で、様々な人と巡り合いました。彼らに、私は育てられ、サポートしてもらいながら、今の私があります。自分の力だけで今の私があるわけではありません。一人暮らしを経験して、結婚しました。健全者なら、20代で経験することを私は48歳から始めています。今、ここ十年を思い起こしています。下関に来て、援護寮ヒエダでの生活、福祉工場での就労、一般就労でのCIL下関での9年、色々なことがありました。たくさんの人達のサポートで自立生活・結婚生活が、あっという間のひと時でした。実現可能な目標を立て実現し、また目標を立て実現と、それらの繰り返しです。私は長生きして社会に私の統合失調症の経験を「メンタルにゅーすヒエダ」でお返ししたいと思います。そして、何らかの形で下関の精神障碍者が住みやすい市でありますように、微力ではありますが頑張っていきたいです。もちろん、頑張りすぎると調子を崩しますので、ボチボチやっていこうと思います。しかし、20歳過ぎてからのこの30年間は、あっという間の出来事でした。私は、ただ生きるだけの糧の仕事ならば、私は働かないだろうと思います。少なくとも、障碍者福祉の仕事だから続いたのだろうと思います。また、障碍を抱えた私を受け入れてくれた職場だから私でも何とか仕事がつづいたのかな・・・?
【編集後記】
毎日、仕事・人付き合い・生活・・・・と楽しく暮らせればいいのだけれど、そんなことはあんまり無いのではと思います。もちろん、私が病気と障碍を持っているからかもしれません。私一人の主観かもしれません。私は、時々考えることがあります。田舎の山の奥深くで仙人みたいな生活をしてみたいと思ったりもします。わずらわしい人間関係は嫌で嫌で仕方ないと時々思います。かといって、電気も水もパソコンも洗濯機もステレオも無い生活はありえないとやっぱり私には仙人のような生活は実現不可能です。ただ、私は病気と障碍に対処して、平静で平穏な生活がしたいだけなのですがね。私のこの思いは少しずつだけど実現しています。ゆっくりボチボチと・・・・・・
トップページに戻る