統合失調症はその概念誕生から120年の時を経て、多くの知見が集積される中、いま改めて、この障害は何かと言うことが問い直されています。今日までその発病に関する様々な仮説が生まれてきたことは周知のことと思いますが、今回はそれらを歴史的に概観し、統合失調症とは何かという基本的命題に現在的視座を改めて求めてみたいです。
統合失調症がいつから存在しているのかという、極めて基本的問題にも必ずしも明確な答えはないです。ゴッテスマン(Irving I. Gottesman)は、記述的には1809年ロンドン・ベツレム病院の院長ハスラムの「狂気とメランコリーの研究」以前に統合失調症と断定できる文献表記が見当たらないと確認しています。イングランドの中世の平均寿命が33歳、1833〜1854年のイングランド(ウェールズ)の調査でも41歳と推定されています。現在の発症率(約1%)と好発病年令(20代半ば)からすると、当時の一般人口において本障碍を占める割合は極めて少なかったと考えられます。以上のようなことを根拠として、1800年以前にはあまり存在しない障碍と見なされると結論しています。この説を採ると、統合失調症の歴史とはこの200年ほどのことかもしれないです。
1950年、この年は精神医学の治療においてエポックメーキングな出来事が生じました。それまでに生まれた危険なショック療法(電気けいれん療法、インスリンショック療法など)がすたれた時代の始まりです。この年、フランスのローヌ・プーラン社が坑ヒスタミン作用を持つ外科的麻酔薬としてクロルプロマジン(chlorpromazine)を開発しました。1951年フランスの軍医アンリ・ラボリ(Henri Laborit)がこの薬に鎮静作用があることに気付いて論文に発表し、1952年、パリ、サンタンヌ精神病院の医師、ジャン・ドレー(Jean Delay)とピエール・ドニカー(Pierre Deniker)が8名の統合失調症患者に対してクロルプロマジンを投与して精神症状が改善することを報告しました。この後、類似の構造を持つフェノチアジン系の薬物が次々に開発されて、統合失調症の薬物療法は広がっていきました。1957年にはベルギーのヤンセン社のポール・ヤンセン(Paul Janssen)がアンフェタミン(覚醒剤)の運動量昂進に対して拮抗する薬物としてハロペリドール(haloperidol)を開発しました。この薬物はクロルプロマジンとは構造的にまったく異なるブチロフェノン系の薬物でしたが、クロルプロマジンに優る坑妄想、坑幻覚作用を有していたのです。このように1950年代に入ってから、精神症状に効果を示す薬物が相次いで発見されて、統合失調症治療は薬物療法中心の時代へと大きく変化していきました。
出展 「統合失調症の歴史」 小野和哉 中山和彦 〜その治療の歴史と仮説が語るもの〜 こころのりんしょう 2010.JuneVol.29、No.1から4
私は、統合失調症の薬の始まりは、1950年代に発見されてそれが麻酔薬で精神安定作用があることは知っていました。ただ、うすうすとは統合失調症は近代病ではないかと思っていました。それは、昔は現代のように医療技術が発達してないので、人々が割りと早めに亡くなっているのではないかと考えていました。イングランドの中世の統合失調症発症率が現代と同じ1パーセントで平均寿命が33歳なことを考えてみれば分かると思います。統合失調症時の年齢が現代と同じ20代半ばなことを考えると、現代の統合失調症のようには当事者は、そんなに多くはいなかったのではないかと言うのも理解は出来ます。またこの病気の人は発病すれば同じ病の人がいる施設に入所されていたのではと考えます。それだから、一般の人々は、統合失調症の当事者を目にすることがなかったのではないでしょうか。
最近は、精神病者の6割くらいが統合失調者だとか言われています。現在、日本の精神病者が300万人くらいで180万人が統合失調症者といわれてもおかしくはないです。とかく、統合失調症者は「何をするかわからない。」「怖い」「事件が起きたとき誰が責任を取るんだ。」とか、偏った意見をお持ちの健全者がいます。健全者より当事者の方が地域社会では大人しく・静かに生活していますし、当事者は健全者を怖がっています。しかし、現在でも社会の治安維持を唱えて、病院や施設での生活を余儀なくしている当事者がおられます。
私が入所していた援護寮では、生活技術(調理・掃除・洗濯・金銭管理・服薬管理等)の訓練をして、援護寮を巣立った先輩寮生は、再入院率は低く社会の中でひっそり生活している人が多いです。多分、医療関係者、施設職員でも当事者は案外やるなと思っている人は少なくないです。全家連の雑誌を読んだとき、交通事故率を医療関係者・施設職員と当事者を比較すると当事者の事故率が低いことが書いてありました。ああ、そうかと納得しました。車を運転する当事者はかなり気をつけているのだなと思いました。そういえば、私も、下関に来てから事故はしていません。相手にぶつけられたことはあります。地域社会で生活している当事者は、健全者より車の運転に限っても最善の注意・確認を行なっていることが分かります。
【編集後記】
私は、知的好奇心が52歳にもなるのに旺盛です。連れ合いに分からないことを聞くと彼女は理路整然と答えてくれます。ただ、「SAM、小さな子供のように何故、何故?と聞くと怒りますよ。」とそして、「少しは自分で考えなさい。」と言われます。私は疑問が有れば連れ合いに「何故、何故?」と尋ねますが、あまり度が過ぎると相手の機嫌が悪くなります。疑問は、程々が宜しいようですね。くせになっているのですが人の歳を聞くと相手の生まれた年を無意識に計算しますし、西暦を平成、昭和、大正、明治と計算します。これは、小学校からのくせで数字を教えてもらうと西暦を昭和何年と計算してしまいます。
今回は、「統合失調症の薬の歴史」をお話しました。私にとっては、感動もんの内容でしたが皆様はいかがでしたか?時代時代の平均寿命から現在の統合失調症の発症率、発病のピークの歳から考察すると案外、昔の人々は統合失調症の当事者を見た事・聞いた事もなかったと考えることができるなんて、驚きです。物事の考え方を柔軟な思考へと導くためには「人生一生勉強」ですね。そう実感する、ひと時の「メンタルにゅーす」の編集でした。
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