メンタルにゅーすVol.93

 

メンタルにゅーすヒエダ

 

 

私と「メンタルにゅーすヒエダ」

2011年  Vol.93

CIL(自立生活センター)下関発行

ピア・ハート下関 編集 SAM

Tel(083)-263-2687

FAX(083)-263-2688

E-mail  s-cil@feel.ocn.ne.jp

URL      http://members.jcom.home.ne.jp/s-cil/

 私は「自分が恵まれている」という言葉を良くこのメンタルにゅーすで使っています。周囲の人達が私によくしてくれて「幸せだ」ともよく使います。それをある人に指摘されました。私は下関に来て統合失調症のことを必死に勉強しました。それは、中途半端には勉強できませんでした。浅く時には深く掘り下げて勉強しました。読者に特に当事者には伝えなくてはいけないと自分で判断する内容は倫理観を持ってメンタルにゅーすを編集していました。皆が私のことをどのような人間かと想像しているのは知っています。私のことは、メンタルにゅーすの言葉の使い方で想像してしまうか、方法がないことも知っています。私が読者でも、「このニュースレター、一体どんな人が編集しているのかな?」と気になります。私は、ただたんに52歳のおっさんです。

私は、昔、高校を卒業して横浜で仕事をしていました。その頃、私が精神的に不安定になって、同僚に誘われてキリスト教の教会に礼拝に行きました。教会は厳かな雰囲気の静かなところでした。結局、私は仕事を辞めて山口県に帰ってきました。実家の近くにキリスト教の教会がありましたので6年間通いました。私は、教会で自分を見つめていました。しかし、自分の病気に改善の兆しはありませんでした。精神病と宗教には共通点はありませんでした。一つだけ、私の心の中に今でも残っていることがあります。それは、「人間は、生きているのではない、生かされているのだ。」という説教を聴かされていたことです。どうやら私には、宗教で救われることは下関に来るまでありませんでした。私は、「自分の力で生きている。」と考えていることを覆させられた経験をしました。以前、教会に通っていた頃「人間は生かされているのだ。」と牧師の説教で聴かされたことを下関に来たばかりの頃の10年前、援護寮でフラッシュバックがありました。牧師の説教を思い出しました。その牧師とは、今でも時々年賀状をやり取りするぐらいです。「人間という生き物は自分で生きていると考えていると増長してしまいます。生かされているというぐらいのほうが丁度いいです。人間には神様が何らかの使命を担わせられて生かされています。」ということでした。私は、すぐに増長すること、得意がることがあるので、「生かされている」と考えることが私には丁度いい生き方だと思います。

私は、下関に来てからニュースレターの編集を始めました。それらの編集をもう10年間続けています。私の使命は病気と障碍を持った私の生き様を後世に伝えたいと思ったからです。試行錯誤を繰り返し病気と障碍にどのように向き合って生きているか皆に伝えたいと考えています。私は、決して得意がって生きているわけではありません。ただ、私の生き方の中で読者の選択肢の一つになればと思ってメンタルにゅーすを編集しています。私は、事実今は、残存している幻聴と妄想に何とか対処しながら生活しています。

私が、皆に感謝していることは、私の本心です。たくさんの人達と下関で巡り合えて生活しています。私は、山陽小野田市から下関市に引っ越して、今の私があります。たくさんの人達と知り合って「メンタルにゅーすヒエダ」を編集しています。その編集は文章の推敲から、校正、印刷、発行、配付まで全て私が担っています。また、ホームページの管理まで全て一人で行ないます。私は、タイトルには自分の生活の中から次はこのタイトルでいこうとわりと簡単に決めて編集します。タイトルが決まればささーっと書き上げてしまいます。タイトルを考えてそれが決まればいいのですがなかなか思い浮かばなければ書き上げてしまうことができませんので苦労します。私は、メンタルにゅーすでは、毎回一つのタイトルで書き上げてしまい、編集後記でまとめています。このスタイルは、メンタルにゅーすでは無意識に編集しています。誰かに勧められたわけでもありませんが何となく毎回、メンタルニュースのスタイルは決まって、編集してしまいます。ネタが切れないかと同僚が心配しますし、不思議に思われていますが何とか続けています。私が、メンタルにゅーすの中で何度も繰り返して使っている言葉があります。それは、私が工夫して考え出した言葉であり、病気と障碍、人間関係、物事の考え方の距離感、倫理観であったりします。私が、メンタルニュースの編集の中で何度も使っている言葉は、大切なことばかりです。私は、凡人です。皆さんの周りにいるただのおっさんです。ただ、ひたすらに病気と障碍に統合失調症のことを考え勉強して、皆さんに伝えたいことがたくさんあります。それは時折、自分で考えたり、勉強したり、自分の周りの人たちの人間観察であったり、私が見聞きしたもので日記に記録を取り、それを考えて検討したものの一部です。メンタルにゅーすはこれからも、私が生きながらえている限り続くものです。

私は、凡人です。ただ、人より少し物事を観察しますし、考えます。それを継続しているだけです。ひたすら疑問を抱き、観察すること、勉強すること、記録すること、考え続けることなどは、猛烈にしつこく自分自身を統制しています。それらのエキスを皆さんに伝えることが私の使命かなと思います。

 

【編集後記】

 私は、統合失調症を発病した当初、正体不明の統合失調症に振り回されました。この病気に罹患して20年間自暴自棄になっていました。皆さんは、闘病体験はいかがでしたか?私は、20年も、その日その日が生活できればいいみたいな感じでした。自分の周りに相談する人も友達もいない、何とも寂しい哀れな生活をしていました。必死で自分自身を取り戻そうとしましたが、上手くいきません。上手くいかないことを家族にその矛先を向けました。母も私も、精神分裂病(統合失調症)のこと、どうやってこの病気と共存して、対処して生きてゆけばよいのか分かりませんでした。母は、色々なところに相談していました。私は、母には色々迷惑をかけたし、心配させたりしました。母には、分からないことなのでどうしたらいいかさっぱり見当もつかないようでした。私は、自分がどのようにしたらいいのか分かりませんでした。寂しく辛い日々を送っておりました。私がニュースレターの編集を始めて、何か使命感を担ったような気がしました。だから、私は、ニュースレターを編集し、それをひたすら続けているだけのことです。

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