私は、病気に罹患してから29年間が経過しました。今は覚醒時始終、幻聴と妄想があります。「私は服薬時、自分が統合失調症だと思い起こされます。」最近、主治医にこのようなことを診察のとき話しました。主治医は、「服薬が習慣化し自分が病気だと確認せず、無意識のうちに服薬ができ生活ができればいいのではないですか?」と話しておられました。
私は、自分が精神病だと考えもしないで服薬をしているときがたまーにあります。そういえば、そのようなとき自分が病気だと気にしないで服薬しています。例えば、AとBの人で二人とも同じ統合失調症で服薬は守っています。Aさんは「長期間服薬を守っていれば状態の安定と再発の防止ができます。そして、統合失調症と深刻に悩まないで生活してください。」と主治医に指示されました。Bさんは「同じ事を言われました。そして服薬を守っていました。」が、「統合失調症と深刻に悩まないで生活して下さい。」ということを主治医は話しませんでした。服薬だけでなく、物事の考え方、病気と障碍の対処・受け取り方でかなり生活していて楽になりますよ。何がいいたいかというと服薬だけでなく、心の持ち方でも少し楽になります。しかし、服薬は必ず守ること、これは私の経験です。
この二人が、その後どうなったか皆さんは知りたいでしょう。何と彼等は二人とも、社会参画・参加しています。一人は私です。私の場合、深刻に悩み考えました。それでも、皆さんご存知のように私はCIL(自立生活センター)下関で働いています。一人は、作業所で再発もなく働いております。幸いに精神障碍に理解のある施設長・上司に二人とも恵まれて元気で仕事をしています。人生どうなるか分かりません。私は、心配性です。誤った道に入ったなら今は周りの人に尋ねます。そして、軌道修正を自分でしています。周囲の人達にサポートを頼むこともあります。
ところで、「統合失調症は脳の病気であり、心の障碍です。」と私は、個人的に考えています。比較的に「長期間服薬を続けることが必要だ」と精神科の医者は、当事者に話します。私も「服薬と通院を守ることが大切です。」と確かに実感します。私は、はるか昔発病した入院の前後のことを思い出しています。幻聴と妄想は始終あり、誰かに見張られていると思い込んでいました。また、TVで自分のことを放送されていて、誰もが自分の秘密を知っていると思い込んでいました。睡眠はとれない、イライラしてじっとしていることができませんでした。多弁多動、熱弁をふるい、始終立ったり座ったり落ち着きがありませんでした。
私は、発病と再発をあわせて4回しました。下関に来てから、私は真面目に病気と障碍の対処の仕方などを本、人に教えてもらう、自分で考えて勉強しました。私は何人かの主治医達に聞いてみましたが、患者の中で病識(当事者が自分が精神病だと認識し、通院し服薬を守っていると定義)を持っている人は7〜8割くらいいると話されていました。しかし、服薬をしなくなったり用法・用量を守らなくなる人がでてきたりしています。2,3回入退院をすれば自分がどうして入院したのか、振り返って考えます。私は、振り返りながら自分の病気と障害を受容しました。受け入れるまで5年くらい時間がかかりました。
精神病で「寛解」と言う言葉があります。これは、調子の悪いときを火山が爆発するときとすると、「寛解」は休火山のように活動を休止しているときのような状態の寛ぎ治まったことを言います。休火山ですからいつ爆発するか分かりません。「寛解」は再発の可能性もあると示唆している言葉です。「寛解」に対して「治癒」という言葉があります。「治癒」というのは病気が再発する事もなく完全に治った状態です。現代の医学では、統合失調症は完治するものではないようです。どうしても、統合失調症や糖尿病、高血圧症などは生活習慣病ですが、対処療法で治療しています。私は、考えます。未来の統合失調症の人達がこの病に罹患しても、彼らが辛い悲しい体験があっても、強く・たくましく・生きていって欲しいです。私は、自分の経験と統合失調症を抱えて、様々な工夫をして生きています。それらを皆様が参考にできればと「メンタルにゅーすヒエダ」をホームページとして開設しました。皆さんの選択肢の一つになればと思います。私は、当事者が病気と障碍に対処して、できれば就労して生活してくれることを望みます。現在、私はCIL下関で働いています。働くと調子が悪くなる当事者は、働かないで地域社会で生活して社会参加・参画している人がいます。当事者は、病気と障碍を抱えて様々な形で地域社会で生きがいを持って生活する方法があります。のんびり・ぼちぼち・あせらず・がんばらず・むりしないでやっていきましょう。私は、ニュースレターで紙面から、私ができることを障碍者福祉・障碍者運動の一助となればと考え、編集していきたいです。
私は、大体自分が不安定になったときに、自分は「正常か?」もしくは「異常か?」しきりに気にして不安定になります。あとで、私が思い起こしたことがあります。そのような経験があります。また、不安定なときに、私に周囲の人達は当たり障りなく接してくれています。何か周囲の人達は、それとなく調子が悪いと見えても、私自身が調子の悪いのを受け入れないのがもどかしいのでしょうか。私は、アガム(あせらない・がんばらない・むりしない)の法則で脳と心にあまりストレスをかけないで生きていかないといけません。また、調子が悪くなると次第に病識が欠落するのは、4回目の入退院で私は始めての体験(教訓)でした。何はともあれ、私は統合失調症と共存して生活していかないといけません。
【編集後記】
私は、どんな境遇で生きてきたのか思い出します。幼児期に父親に虐待されていたことを以前のメンタルにゅーすで掲載しましたが、私は個人的に人を非難すること、暴力をふるって自分の信条に生きている人はあまり好きではありません。暴力というもので自分の優位性を示す私の父を思い出しますので、私は嫌いです。私は、幼少期から青年期に荒んだ時期を経験しました。いずれ私は、悪代官になるか、悪いことをして私はこの世に生きてないかと私の友人は考えていました。どこでどうなったのか、父を反面教師として、父と同じ弱いものをいじめ・お金をむしりとる人にならないように生きてきました。しかし、私は、統合失調症に罹患しました。神様は、一体何を考えたのか・・・・・・・・・
私は、神はいないと思いました。私は、苦しみ・悩み・自暴自棄になりました。でも、私は、下関の援護寮ヒエダで覚知し、物事の考え方や人との接し方を考えながら、病気と障碍に対して真剣に向かい合いました。自分の良い面といえば以前の仕事が研究業務でしたので研究論文を書いていました。それで、精神関係の物書きをしようと思いました。下関市に住んで「援護寮ヒエダ新聞」から「メンタルにゅーすヒエダ」までニュースレターが続いています。こんな私でも、皆さんのお役に立てる仕事があったのは幸いでした。
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